カテゴリ:┃┣社寺・境内( 22 )
永観堂・禅林寺の紅葉風景です。
永観堂・禅林寺は法然上人を宗祖に、証空上人を派祖にいただく、浄土宗西山禅林寺派の総本山です。
「もみじの永観堂」は、全国にその名を知られています。境内を染め上げる紅葉はもちろん、お堂や回廊のすぐ目の前に、
せまってくる鮮やかな岩垣紅葉は、ここでしか見られないものです。(以上パンフレットより)
撮影を行ったのは11月下旬でした。少し紅葉の見ごろは過ぎていましたが、まだまだ十分に楽しむことが出来ました。
なを下記回遊は「永観堂の境内配置図」を参考にしてください。

永観堂入口の参道風景は多くの人で賑わっていました。
c0137342_17525516.jpg

その参道右の土塀の向こうに見える庭園の紅葉風景は見事でした。
c0137342_17543247.jpg

入口を入ってすぐにその庭園があり、内部から見る庭園は見事な紅葉風景でした。
c0137342_1758732.jpg

庭園中央にある大銀杏は既に落葉していましたが、もみじの紅葉風景はまだまだ十分に楽しめました。
c0137342_1804213.jpg

その庭園の紅葉風景を「動画」でご覧ください。

大銀杏の落葉は庭園に黄色い絨毯となっています。
c0137342_189828.jpg

少し歩いて「画仙堂」前の紅葉風景です。
c0137342_18115061.jpg

歩道脇の竹垣には「つわぶきの開花」と「もみじの紅葉風景」です。
c0137342_15373215.jpg

画仙堂近くの「茶店」裏側から見る紅葉風景も見事です。
c0137342_18175581.jpg

その紅葉風景を「動画」でご覧ください。

茶店裏側の「青もみじ」と「紅葉もみじ」のコントラスト風景も趣があります。
c0137342_15404520.jpg

放生池からの流れと紅葉風景です。
c0137342_18342584.jpg

放生池に架かる「錦雲橋」と紅葉風景です。
c0137342_18365547.jpg

「錦雲橋」を背に深紅の紅葉(ベニシダレでしょうか)が印象的です。
c0137342_18402360.jpg

放生池から見える「多宝塔」の風景です。
c0137342_18432390.jpg

極楽橋から見る「錦雲橋」と紅葉風景です。
c0137342_18454394.jpg

「御影堂(大殿)」への階段と周辺の紅葉風景です。
c0137342_18482862.jpg

「御影堂(大殿)」正面と周辺の紅葉風景です。
c0137342_15455760.jpg

「釈迦堂」と紅葉風景です。
c0137342_18522591.jpg

[PR]
by poron_55 | 2016-12-06 18:03 | ┃┣社寺・境内
新緑の京都・東福寺です。
紅葉で有名な「京都・東福寺」の新緑風景です。(その紅葉時の様子はこちらのページを参照ください。)
真っ赤に染まるカエデ類の眺めは絶景ですが、その萌える新緑時の風景も、目に優しく大変に趣きがあります。
しかも紅葉時とは違って参詣者もまばら・・・あの賑わった秋の通天橋(つうてんきょう)付近も一人じめ状態でゆっくりと楽しめました。
境内の駐車場もガラガラ状態で、伽藍全体をゆっくりと散策できますので、新緑時もお勧めのスポットですね。
今回はそんな東福寺の通天橋周辺の新緑部分と開山堂庭園周りのご紹介をいたします。
なを、東福寺の伽藍配置図をご覧ください。

方丈と開山堂を結んで架かる通天橋も参詣者はまばらです。
c0137342_12402039.jpg

その通天橋から見た臥雲橋(がうんきょう)方向の新緑風景です。
c0137342_1923593.jpg

同じく通天橋から見た方丈方向の新緑風景です。
c0137342_19253066.jpg

通天橋見晴台から見た臥雲橋方向の新緑風景です。
c0137342_13262265.jpg

通天橋見晴台から見た臥雲橋方向のパノラマ新緑風景です。
(画像は横長です。クリックしてご覧ください。再度クリックで消えます。)
c0137342_12485510.jpg

通天橋から開山堂(かいさんどう)・普門院(ふもんいん)への上り階段の風景です。
c0137342_12504634.jpg

開山堂(1280年入定の聖一国師を祀る。)正面の風景です。
c0137342_12532116.jpg

開山堂・普門院前の庭園は江戸中期の名園です。(カキツバタがちらほら)
c0137342_12564328.jpg

普門院(聖一国師が東福寺建立まで常住していた。)全景です。
c0137342_1258225.jpg

その普門院縁席から庭園方向のパノラマ風景です。
(画像は横長です。クリックしてご覧ください。再度クリックで消えます。)
c0137342_1304054.jpg

次は、通天橋下部の小川:洗玉澗(せんぎょくかん)付近と経堂付近の庭園の新緑風景です。
新緑と通天橋の風景です。(紅葉時期も参照比較してください。)
c0137342_1311882.jpg

同じく違った角度からの新緑と通天橋です。
c0137342_13123162.jpg

洗玉澗から通天橋方向の新緑風景です。
c0137342_13142760.jpg

反対に洗玉澗から臥雲橋方向の新緑風景です。
c0137342_13152745.jpg

洗玉澗から階段を上り庭園方向の新緑風景です。
c0137342_1317516.jpg

通天橋・経堂横の庭園の新緑風景です。
c0137342_1319584.jpg

同じく庭園の新緑風景です。
c0137342_13203432.jpg

同じく庭園の新緑風景です。
c0137342_13219100.jpg


[PR]
by poron_55 | 2012-05-25 13:32 | ┃┣社寺・境内
久しぶりの宇治散策です。
紅葉にはまだ少し早かったのですが、久しぶりに宇治川東岸の源氏物語の舞台の散策路を歩きました。
源氏物語の宇治十帖はこの宇治が主要な舞台にもなっています。朝霧橋のたもとに、そのモニュメントがあります。
浮舟(右側の女性)と匂宮(左側の男性)が小舟で橘の小島へ渡ったときの場面をモチーフにしています。
(午後からは逆光になっています。撮るなら午前中。)
c0137342_15461391.jpg

その朝霧橋の東詰に宇治神社の鳥居があります。
明治維新までは宇治神社とその東奥に位置する宇治上(うじかみ)神社は一対の関係でした。
宇治神社と宇治上神社が鎮座するこの一帯は応神天皇の皇子で、宇治十帖の八宮(はちのみや)のモデルとも言われている
「莵道稚郎子(うじのわきいらつこ)」の邸宅跡と考えられていて、皇子の亡くなった後、邸宅跡にその霊を祭ったのが両神社の起こりと言われています。
c0137342_15521819.jpg

宇治神社本殿前の鳥居と知恵の輪
c0137342_15534052.jpg

更に奥に進むと世界遺産に登録されました、宇治上神社の鳥居があります。
c0137342_15553152.jpg

宇治上神社表門
c0137342_1556739.jpg

門を入ると国宝拝殿です。
c0137342_15573130.jpg

拝殿の後方には、国宝本殿があります。
c0137342_15582380.jpg

この宇治上神社を左に折れると早蕨(さわらび)の道があり、源氏ミュージアムなどがあります。(今回は足を伸ばさないで宇治川へ引き返しました。)
c0137342_1632341.jpg

宇治川東岸、朝霧橋を少し川上に歩くと、弘法大師によって開かれた古刹、かつて龍泉寺と呼ばれていた恵心院(えしんいん)があります。
平安時代中期に「往生要集」著者、恵心僧都源信(げんしん)によって再興され、恵心院と称したといわれます。
源信は、源氏物語宇治十帖のヒロイン浮舟を助けた横川の僧都のモデルともいわれています。
現在は本堂と表門のみが残り、本堂には平安時代の木造十一面観音立像が安置されています。
c0137342_16113518.jpg

c0137342_16115051.jpg

本堂横には千両が赤い実をつけていました。
c0137342_16142157.jpg

本堂横には草花や花木を植えた庭園があり、ウメモドキが真っ赤な実をつけていました。
c0137342_1617239.jpg

恵心院から更に川上に歩くと、宇治発電所放流口の観流橋には大銀杏が紅葉を始めていました。
c0137342_16215961.jpg

c0137342_16221559.jpg

更に川上を歩くと興聖寺山門があります。
紅葉で有名な琴坂(まだ赤くなっていませんでした。)を上り、医薬門と本堂の風景をステレオ写真に加工しましたので交差法でご覧ください。
(画像をクリックで元画像になります。再度クリックで消えます。)
薬医門と前庭の風景です。
c0137342_1629582.jpg

本堂と前庭の風景です。
c0137342_16301346.jpg

今回は内部の拝観はしていません。内部の様子は一昨年の投稿記事を下記にTBしておきますので、参照してください。


[PR]
by poron_55 | 2009-11-15 16:39 | ┃┣社寺・境内
京田辺市の一休寺を尋ねました。
京田辺市にあります「一休寺(酬恩庵)」を尋ねました。
京田辺市は我が家からは車で30分もかからないところであり、一休禅師が晩年過ごされた「一休寺(酬恩庵)」があります。
近場でもあり過去に何度か訪れていますが、久しぶりに先日カメラ片手にふらりと出かけました。
以下にその境内の様子を下図マップでご紹介いたします。

酬恩庵・一休寺の沿革
当寺の元の名は妙勝寺であって、鎌倉時代、臨済宗の高僧大應国師(南浦紹明:なんぽじょうみょう)が中国の綺堂(きどう)和尚禅を学び、
帰朝後禅の道場をここに建てたのである。
その後、元弘の戦火にかかり復興もままならずにいたものを、六代の法孫に当たる一休禅師が康生年中(1455~6年)、宗祖の遺風を
慕って堂宇を再興し、師恩にむくいる意味で、「酬恩庵」と命名した。
禅師はここで後半の障害を送り81歳で大徳寺住職となった時もこの寺から通われたのであり、文明13(1481)年11月21日、
88歳の高齢を以って当寺において示寂され遺骨は当所に葬られたのである。
このように禅師が晩年を過ごされたことにより、「一休寺」の通称で知られるに至ったのである。

一休寺境内のマップです。
c0137342_10521388.jpg

総門から内部参道の風景です。
c0137342_9353823.jpg

内部参道は緩やかな石畳の参道です。ステレオ写真(交差法)でその奥行き感をお楽しみください。
(画像は縮小されています。画像をクリックしてご覧ください。再度クリックで消えます。)
c0137342_939550.jpg

参道を上がったところに三本杉があります。
一説には、一休さんと蓮如上人、蜷川新右衛門 の三人が一本ずつ植えたともいわれています。 しかしこの三本杉も1961年(昭和36年)の
第二室戸台風で倒れてしまいました。今の杉は三本とも1965年(昭和40年)の秋に植え直したもので、二世であります。
c0137342_9401946.jpg

参道を右に折れると、御廟所・方丈・庫裏への参道が続きます。
現在の御廟所(墓所)は文明七(1475)年、一休禅師八十二歳の時、自ら建立せられたもので、廟前庭は虎丘庭園と同じく
村田珠光作の室町時代枯山水庭園である。禅師は人皇百代後小松天皇の皇子であるので御廟所は宮内庁の管轄であり、
立ち入ることができません。
菊のご紋越しに見た御廟所
c0137342_9585183.jpg

方丈南庭園から見た御廟所の風景です。
c0137342_1002296.jpg

御廟所・方丈・庫裏への参道の風景です。
c0137342_9445749.jpg

この参道をステレオ写真(交差法)でその奥行き感をお楽しみください。
(画像は縮小されています。画像をクリックしてご覧ください。再度クリックで消えます。)
c0137342_947475.jpg

参道の右側の中門をくぐり、石階段を下りると庫裏があります。(慶安三年、前田家が当寺再建時に新築させられたものである。)
c0137342_10454153.jpg

庫裏は台所のことで現在は玄関や囲炉裏の間として使われています。
c0137342_9515924.jpg

c0137342_9521971.jpg

庫裏~方丈間に茶室があります。
c0137342_9532670.jpg

方丈の廊下と方丈南庭園です。
(方丈は加賀城主前田利常公が大阪の陣の時、木津川に陣をしき当寺に参詣したおり、寺の荒廃を歎き、慶安三(1650)年に
再建されたものである。)
c0137342_1051195.jpg

方丈南庭園と方丈の様子です。
(方丈庭園は方丈周囲の庭園で作者は松花堂昭乗、佐川田喜六、石川丈山、三氏合作といわれ、北庭は枯滝落水の様子を表現した蓬莱庭園、
東庭は十六羅漢の遊戯を擬えたもの、南庭はサツキの刈り込みと白砂の庭とした北、東、南、三面の庭よりなる江戸時代初期の禅院枯山水庭園である。
(画像は縮小されています。画像をクリックしてご覧ください。再度クリックで消えます。)
c0137342_107677.jpg

方丈廊下のステレオ写真(交差法)で、その奥行き感をお楽しみください。
(画像は縮小されています。画像をクリックしてご覧ください。再度クリックで消えます。)
c0137342_10105640.jpg

方丈の東側の庭園です。
c0137342_10232471.jpg

方丈の裏側に北庭園があります。
c0137342_10243436.jpg

c0137342_10245510.jpg

方丈裏側には禅師の木像が安置されています高床建物の様子です。
c0137342_10265222.jpg

方丈を出て、本堂への参道風景をステレオ写真(交差法)で、その奥行き感をお楽しみください。
(画像は縮小されています。画像をクリックしてご覧ください。再度クリックで消えます。)
c0137342_10293745.jpg

本堂と手前の夏でも紅いモミジの様子です。
(本堂は永享年間(1429~40年)足利六代将軍義数の帰依により建立せられたもので、入母屋造り桧皮葺きで、内部には釈迦如来・
文殊菩薩・普賢菩薩を祀り、山城・大和の唐様仏殿としては一番古い遺構の建造物である。)
c0137342_1031209.jpg

本堂東側の開山堂です。
c0137342_1033011.jpg

境内にあります一休禅師像と一休少年像です。
c0137342_10344212.jpg

c0137342_1034562.jpg

鐘楼です。(慶安三年、方丈等再建時に修繕せられたものである。)
c0137342_1036275.jpg



[PR]
by poron_55 | 2009-07-07 10:47 | ┃┣社寺・境内
城南宮の梅林と庭園の風景
久しぶりに晴れましたので、京都・伏見にあります「城南宮」の梅林と庭園を楽しみました。
城南宮は平安遷都の際、都の南に国の守護神として創建されました。国土守護の国常立尊(くにのとこたちのみこと)、武勇に秀でた
八千矛神(大国主命)(やちほこのかみ)、安産と育児の神様でもある息長帯比売命(神功皇后)を、お祀りしています。
平安時代の末、交通の要衝でもあり、方角の災いを除く方除(ほうよけ)・旅行安全の信仰のため、風光明媚なこの地に白河上皇が
壮大な離宮(城南離宮、鳥羽離宮)を造営しました。(パンフレットより)
(なを、以下の画像の内、横長画像は縮小されていますのでクリックしてご覧ください。)

境内配置図と庭園配置図を参考にしてご覧ください。(パンフレットよりスキャン)
c0137342_8304153.jpg

城南宮入り口の大鳥居です。
c0137342_831296.jpg

拝殿越しに本殿の様子も見えます。
c0137342_8325087.jpg

本殿の参拝風景です。
c0137342_8333899.jpg

梅祭りの掲示板です。神苑はこの左側から入ります。
c0137342_8374862.jpg

庭園「春の山」には、丁度見ごろの見事な枝垂れ梅が満開になっていました。
枝垂れ梅と石灯篭の風景です。
c0137342_8404154.jpg

その枝垂れ梅と石灯篭をステレオ写真(交差法)でご覧ください。
(白梅枝垂れが前方、その奥に石灯篭、更にその奥に紅梅枝垂れが見えるとOKです。)
c0137342_8463574.jpg

禊(みそぎ)の小川と枝垂れ梅の風景です。(庭園・春の山)
c0137342_8483013.jpg

見事な紅白の枝垂れ梅の様子です。(庭園・春の山)
c0137342_8495718.jpg

八重紅梅の枝垂れの様子です。
c0137342_8515853.jpg

c0137342_8521717.jpg

白梅枝垂れの様子です。
c0137342_853590.jpg

庭園・春の山の裏側では早咲きの落ち椿の様子がありました。
c0137342_8545257.jpg

次いで、「平安の庭」では枝垂れ柳(真中の細い木)が芽を吹き出したばかりの様子です。
c0137342_858891.jpg

曲水の宴の庭では、例年4月と11月に、「流れ来るまでに和歌を詠み短冊にしたためる」宴が催される庭です。
c0137342_96275.jpg

次いで、「桃山の庭」では広い庭園を眺めながらいただく茶室「楽水軒」があります。
c0137342_9101134.jpg

「室町の庭」にあります池泉回遊式庭園の池の様子です。
c0137342_9114173.jpg

「城南離宮跡の庭」では枯山水の庭が広がり、華やかであった離宮時代の風景を表しています。
c0137342_9152436.jpg

その奥行き感をステレオ写真でご覧ください。
c0137342_9161380.jpg

[PR]
by poron_55 | 2009-03-01 09:30 | ┃┣社寺・境内
意賀美神社と梅林
枚方八景の一つに「万年寺山の緑陰」が選定されておりますが、その意賀美(おかみ)神社の境内と梅林の様子を見に出かけました。
また、この梅林の直ぐ横には「御茶屋御殿跡(おちゃやごてんあと)」史跡があります。

意賀美神社は古くは伊加賀村宮山にあって、淀川の鎮守として通航安全と水害排除の祈願のため創建された。
明治42年(1909)に日吉神社・須賀神社を合祀し、現在鎮座地に遷座した。

枚方市駅から徒歩10分くらいの小高い丘の中腹に神社正門の石階段があります。
c0137342_8533085.jpg

急な石階段を上って行きます。その様子をステレオ写真(交差法)に後加工してみました。
(画像は縮小されていますので、クリックしてご覧ください。)
c0137342_8572613.jpg

階段を上ると、神社の本殿(流造銅板葺)があります。
c0137342_858621.jpg

右側面からみた本殿です。
c0137342_903366.jpg

石階段を上がった直ぐ左側に境内社の琴平社がある。
c0137342_91141.jpg

同じく右側には奉納された朱塗りの鳥居があります。
c0137342_94871.jpg

境内には多くの祈願絵馬(合格祈願が多い)があります。
c0137342_94473.jpg

石階段の中ごろのに石塔があります。
c0137342_964937.jpg

石塔の左側に意賀美梅林があります。
開花には、まだ少し早かったですが、一部早咲きの花弁は開いていました。
c0137342_993923.jpg

c0137342_995612.jpg

c0137342_9101856.jpg

c0137342_910422.jpg

梅林の白梅越しには、御茶屋御殿跡が見えます。
c0137342_9123983.jpg

御茶屋御殿跡の説明板です。
豊臣秀吉により作られ、枚方城主である本多内膳正政康の娘である乙御前を住まわせたと言われている。
延宝7年(1679年)7月に起こった枚方宿の大火により焼失した。現在は御茶屋御殿跡展望広場として整備されている。
c0137342_9132840.jpg

整備された御茶屋御殿跡の風景です。
c0137342_9181921.jpg

この遺跡から見下ろせる、淀川方向のパノラマ風景です。
(横長画像のため既に縮小されています。画像をクリックしてご覧ください。)
c0137342_9202451.jpg

[PR]
by poron_55 | 2009-02-10 09:32 | ┃┣社寺・境内
大阪天満宮と京橋界隈
昨日、大阪天満宮の敷地内にあります「天満天神繁昌亭」へ落語を楽しみたく出かけましたが、
相変わらずの繁昌ぶりで立ち見席のみとのこと・・・そこで諦めて天満宮を参拝いたしました。

901年に菅原道真(現在では学問の神)が、藤原時平により九州太宰府へ配転させられた際、同地にあった大将軍社に参詣した。
903年に菅原道真が没した後、天神信仰が始まる。949年に大将軍社の前に7本の松が生え、
霊光を放ったという奇譚が都に伝わった。そのため村上天皇の勅命によって天満宮を建立させたのが始まりである。

また日本三大祭りの一つ「大阪天神祭り」は、例年7月の24・25日に、ここの神事から始まります。

大阪天満宮の表門
c0137342_1001983.jpg

その上部にあります十二支方角盤の彫刻です。
c0137342_1014846.jpg

本殿前の風景です。(現在の本殿は、弘化2年(1845)に再建された物で権現造りです。)
c0137342_1023285.jpg

授与所では各(受験・その他)祈願の受付で賑わっていました。
c0137342_1043264.jpg

祈願お札の状況です(その多くが合格祈願でした)。
c0137342_1054916.jpg

梅花殿では貢物が一杯・・・梅は、まだ咲いていませんでした。
c0137342_1072493.jpg

今回は大将軍社の様子を撮り忘れました。

その帰りに京橋界隈にも立ち寄りました。
クリスタル・タワー(前の川は寝屋川です。)の風景です。
c0137342_1018152.jpg

クリスタル・タワー前の城見交差点からIMPビル(右の1本)とツイン21ビル(左の2本)の様子です。
c0137342_1020057.jpg

IMPビル内へ入って中央広場の様子です。
c0137342_10218100.jpg

IMPビル内でのイルミネーションが綺麗。
c0137342_10223069.jpg

IPMビル26Fから隣のツイン21ビルと生駒方向の風景。
c0137342_10242310.jpg

IMPから隣のツイン21ビル内へ・・・3Fから一階ホールの様子です。丁度、古書販売イベント中でした。
c0137342_10274455.jpg

ツイン21ビル内から見えます大阪城の様子です。
c0137342_10283482.jpg

[PR]
by poron_55 | 2009-01-25 10:38 | ┃┣社寺・境内
伏見稲荷大社へ初詣
皆様あけましておめでとうございます。
お正月三が日は家でのんびりと、そして昨日は近場の「伏見稲荷大社」へ初詣をしました。
流石に人気の初詣神社・・・参拝客は参道までぎっしりと行列が出来ていました。
「伏見稲荷大社」は既に何度か初詣をしておりましたが、今回はお参り後、背部の稲荷山の千本鳥居を初めて一周してきました。

以下は稲荷山大社マップ(HPより)をご参考の上、ご覧ください。
c0137342_936540.jpg

大社入り口の「楼門」の風景です。参拝客で賑わっていました。
c0137342_9375167.jpg

例年通り、初詣も順番待ちでした。
c0137342_9393058.jpg

千本鳥居前の奥宮の風景(帰りに撮ったもの)です。
c0137342_9412034.jpg

千本鳥居入り口の様子です。
c0137342_9431723.jpg

千本鳥居の外側は稲荷山の自然林です。
c0137342_9445245.jpg

稲荷山の中を千本鳥居は延々と続きます。
c0137342_9464073.jpg

朱塗りの鳥居を「ステレオ写真(交差法)」にしてみました。何処までも続くその奥行き感をご覧ください。
(既に画像は縮小されています。画像をクリックしてオリジナル画像でご覧ください。)
c0137342_949562.jpg

こちらの絵馬は少し変わった形(キツネの形でしょうか?)でした。
c0137342_9515654.jpg

千本鳥居を上り下りを繰り返して「辻堂」の展望台まで着きした。
ここからは京都市内が一望ですが、生憎曇り空になっていました。
その様子を「パノラマ画像」にしてみました。
(横長画像ですから画像をクリックの上、オリジナル画像でご覧ください。)
c0137342_956543.jpg

ここから、更に約30分間で稲荷山(最高峰は233M)中を三の峰、一の峰、剣石と廻り再度辻堂に戻ります。
三の峰(下ノ社御神蹟)です。
c0137342_1055366.jpg

一の峰(上ノ社御神蹟)です。
c0137342_107513.jpg

劔石(長者社御神蹟)です。
c0137342_1094834.jpg

少し変わったキツネの守り神です。
c0137342_10112862.jpg

今回のように千本鳥居がなければ、稲荷山自体の自然林は低山ハイクに見られる植生があり、
その四季折々の風景は府民の森と同じようにも感じられました。
途中で見ました紅白マンリョウとキンカンの実です。(どちらも植栽されたもの)
c0137342_10203628.jpg

c0137342_10205784.jpg

帰りの参道では、お馴染みのお土産店がずらりと並んでいます。
c0137342_10222952.jpg

c0137342_1022491.jpg

c0137342_1023245.jpg

[PR]
by poron_55 | 2009-01-05 10:27 | ┃┣社寺・境内
湖東・永源寺の紅葉風景です。
永源寺は康安元年(1361)に近江の守護職佐々木六角氏頼がこの勝地に伽藍を建て寂室元光禅師を請して開山となし、
瑞石山永源寺と号した。

天気が危ぶまれていましたが、予報に反して快晴のバスツアーでした。
この日は永源寺の他、湖東三山の紅葉巡りもあってすっかり紅葉漬けの一日でした。
一日4ケ寺、階段を上ったり下ったり・・・流石に足も頭も疲れてしまいました。

旦度橋から見た音無川両岸の紅葉風景。
c0137342_9274653.jpg

十六羅漢像:参道120段の石段(羅漢坂)を登りつめた山際に安置されています。
c0137342_9284396.jpg

総門前の坂道の紅葉風景。
c0137342_9295620.jpg

やがて総門にたどりつきます。
c0137342_9305786.jpg

総門横の紅葉風景と瓦屋根の落葉。
c0137342_9314848.jpg

もう少し歩くと威風堂々の山門があります。
山門(県指定文化財):享和2年(1802)楼上には釈迦・文殊・普賢の三尊像と十六羅漢像を安置している。
c0137342_93339.jpg

伽藍を更に進むと本堂があります。背部山々の紅葉も見ごろ。
方丈(本堂):明和2年(1765)本山古例の法要を行う道場。国内屈指の葭(よし)葺き大屋根です。
c0137342_9334468.jpg

更に奥へ進むと開山堂へ着きます。
開山堂:寂室禅師(貞治6年(1367)に78歳で示寂。墓所を大寂塔(開山堂)といいます。
c0137342_9343097.jpg

開山堂前の紅葉風景。
c0137342_9353357.jpg

途中、禅堂への橋周辺の紅葉風景。
c0137342_9365747.jpg

回廊から見た額縁風の紅葉風景。
c0137342_937332.jpg

[PR]
by poron_55 | 2008-12-01 09:49 | ┃┣社寺・境内
三千院門跡の紅葉風景です。
今回は、前回の瑠璃光院から足を伸ばして三千院の紅葉風景を尋ねました。
こちらでも、大変な賑わいで、境内庭園の中は勿論、建物内部では到底撮影どころではない状態でした。
それでも、紅葉真っ盛り(一部落葉の始まり)の境内庭園の風景をご覧ください。

三千院門跡
創建は伝教大師最澄上人(768~823)が比叡山延暦寺建立の際、草庵を結ばれたのにはじまります。
別名、梶井門跡・梨本門跡とも呼ばれる天台宗五箇室門跡の一つで、当院は皇子、皇族が住職を勤めた宮門跡です。
現在の名称は、明治4年法親王還俗にともない、梶井御殿内の持仏堂に掲げられていた霊元天皇宸筆の直額により、
三千院と公称されるようになりました。

こちらでは宸殿から見る聚碧園(しゅうへきえん)や有清園(ゆうせいえん)の杉木立の中、苔の大海原と紅葉が見事でした。
宸殿から見る聚碧園の紅葉風景(既に落葉が始まっています。)
c0137342_1032599.jpg

宸殿から見る有清園と極楽院方向の紅葉風景
c0137342_10333130.jpg

c0137342_10334521.jpg

宸殿前から庭園横の風景
c0137342_10344680.jpg

宸殿横から庭園横の風景
c0137342_10354347.jpg

池泉回遊式庭園の紅葉風景
c0137342_10372811.jpg

池泉回遊式庭園から極楽院方向の紅葉風景
c0137342_10385460.jpg

朱雀門への途中、苔庭園にある「わらべ地蔵」
c0137342_10412344.jpg

聚碧園から宸殿方向の紅葉風景
c0137342_10501630.jpg

聚碧園から極楽院方向の紅葉風景
c0137342_1051120.jpg

三千院入り口の御殿門は人が途切れずのため止む無く、覆面をしていただきました。
c0137342_10432147.jpg

[PR]
by poron_55 | 2008-11-27 10:57 | ┃┣社寺・境内